高井の好物、鶏の入った大根の煮物をつつきながら、遥はふと思いついたことをそのまま口にしてみる。
「高井さん、いつから私のこと名前で呼ぶようになったんだっけ」
「いつからだったかなあ。『向井さん』ていうよりも『遥』のほうが断然似合ってるからね」
 だけど高井は、人前では今も間違うことなく確実に、こともなげに「向井さん」と呼ぶ。似合ってると思うなら、いつも「遥」って呼べばいいのに。…とは、口には出さずに心の奥に沈める。だってこれって、大人の恋のルールのひとつなんでしょう。
「実紀さん、相変わらず仕事忙しそうね?」
 箸で刺した大根を目の前でゆっくり回転させながら、遥はぼんやりとした口調で聞いた。
「そうだな。あいつは、手を抜けない性格だから。やりたいこともはっきりしてるし」
「私とは違うね」
 小さくつぶやくように言って、少しだけ言ってしまったことを後悔し、遥は慌ててよく味のしみた大根を頬張った。高井に触れている右肩に全神経を集中して気配を感じ、高井の変化を探ってみる。でも、いつものように高井は何一つ変わることなく、何の反応も無くて、だからその変化の無さに私だけが苦しい。
「遥と実紀は違うよ」
 一言だけ言って、艶やかで透明な酒を飲み干した高井は、いつもと変わりなく穏やかな横顔だった。
 途端に遥は絶望的に後悔してうつむき、なかなかのどを通らない熱い大根が苦しくて、薄く涙を浮かべた。


コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索