プロローグ(1)

2002年5月14日
 向井遥は週に一度、ドレスを着る。
 成り行きで始まった週一回だけのシンデレラ。でもそれは、今となっては彼女を支える大切な時間になっている。
 遥が高井佑輔と出会ったのは、純白のドレスに初めて身をつつんだ日のことだった。圧倒的なスピードで過ぎ去っていくそれからの日々を、のちに私はどんなふうに思い出すことになるのだろう?…ふと我に返って考えてしまうほど、今までの自分の人生の中で一番早くて強引な流れが、遥の背中を押し続けていた。流れに足をとられないことだけを考えているうちに、深く感慨に耽る間のないめまぐるしい毎日が過ぎていく。

「うちの商品のショーモデルをやってみないか?」
 最初に部長から告げられたとき、遥は一瞬ぽかんとして、それから思わず苦笑し、何の冗談ですかと言いながらさっさと自分の仕事に戻ろうとした。
 そのころの遥は、ジュエリー会社のいわゆる「普通の」OLで、九時に出社して六時に退社し、夜は友人達と食事をし、週末はウインドウショッピングに出かける、そんな「無難な」OLだった。疑問を感じないこともなかったけれど、それはそれでそれなりに楽しかったし、自宅に帰れば両親と妹がいて、何の不都合もなかった。ただそれだけのことだ。
 でも、毎日続く無難な日々の中での、自分でも気づかずにいた、または気づかないふりをしていた小さな疑問や不満、欲求のようなものが、その時初めてゆっくりと頭をもたげてきたのだった。モデルなんて私に出来るわけないじゃないですか、と断りながら、本当に出来ないのだろうか、という声が聞こえた。シンデレラストーリーなどという安っぽい言葉が妙に真実味をもって頭をよぎったのを思い出すと、今でも少し笑ってしまう。
 今衣装係から手渡されたばかりの淡いオレンジのカクテルドレスを手に「ジュエリースギサキ様」と書かれたメイク室のドアを開けた遥は、何人かのショーモデルたちが思い思いに準備をしたりくつろいだりしているのを見渡した。空いている椅子を探して、ふと鏡の前で写真の束を整理している黄色のドレスに包まれた手に目をとめた。力強いのにどこか女らしい、美しい手だと思った。
「実紀さん!」

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